訪問看護ステーションの経営に関わる制度で、2026年前半に起きた最も大きな転換を一つ挙げるなら、私は迷わずこれを選ぶ。介護職員等処遇改善加算の対象に、訪問看護が加わったことだ。
小さなニュースに見えるかもしれない。加算率はわずか1.8%である。だが、制度の歴史を知る者にとって、意味はまったく違う。処遇改善加算は2012年度の創設以来、14年にわたって訪問看護を対象外とし続けてきた。その壁が、ついに崩れたのだ。
何が決まり、何をすべきで、何が課題として残るのか。順に整理していきたい。
はじめに、経緯を確認する。介護職員の賃金を引き上げるための処遇改善の加算は、2012年度の介護報酬改定で「介護職員処遇改善加算」として生まれた。その後「特定処遇改善加算」「ベースアップ等支援加算」と拡充を重ね、2024年6月に三つの加算が「介護職員等処遇改善加算」へ一本化されている。
この間、訪問看護は一貫して対象外だった。理由とされたのは「訪問看護は医療職中心のサービスであり、介護職の処遇改善を目的とする加算の趣旨になじまない」という整理である。
だが現場の実態は、その整理では済まなかった。病院の看護師との賃金格差、24時間対応とオンコールの負担、慢性的な人員不足。介護保険のサービスとして同じ地域で働きながら、隣の訪問介護には処遇改善の原資が入り、訪問看護には入らない。業界団体は繰り返し対象への追加を要望してきたが、実現しないまま年月が過ぎた。
転換は、通常の改定を待たずに来た。
2026年1月16日、社会保障審議会の介護給付費分科会が、過去最高水準のプラス改定となる期中の臨時改定を答申した。介護分野の職員の処遇を他の職種と遜色のない水準へ引き上げるため、令和9年度の介護報酬改定を待たずに実施するという判断である。厚生労働省の通知にも、その趣旨が明記された。
内容はこうだ。処遇改善加算の対象を介護従事者全体に広げ、訪問看護、訪問リハビリテーション、ケアマネジメントなどにも拡大する。賃上げの幅は月1万円をベースとし、定期昇給を含めて最大で月1万9,000円を目指す。加算率は訪問介護で最大28.7%、訪問看護では1.8%、訪問リハビリテーションで1.5%、居宅介護支援等で2.1%と設定された。
訪問看護と介護予防訪問看護は、2026年6月のサービス提供分から算定できる。4月・5月分は対象外である。加算率1.8%は、介護保険分の基本報酬に各種加算を加えた総単位数に乗じる。
前史も押さえておきたい。2025年12月に始まった賃上げ・職場環境改善の緊急補助金は、この加算への前段階だった。補助金で先行させ、6月から恒久的な加算へ移行する。以前の記事で紹介した二段構えが、予定どおり本体の制度になった形だ。
では、算定には何が要るのか。実務の要点を整理する。
第一に、賃金への充当義務だ。加算で得た額は、その全額以上を職員の賃金改善に充てなければならない。事業所の収益として残すものではなく、賃上げの原資として通過させる設計である。配分は看護職員に限らず、事務職を含む全スタッフへ柔軟に行える。
第二に、体制の要件である。キャリアパス要件と職場環境等要件を満たす必要がある。加えて令和8年度には特例の要件が設けられ、たとえばケアプランデータ連携システムへの加入・利用などが求められる。一律の資料提出は不要とされたが、指定権者の求めに応じて根拠資料を速やかに出せるようにしておく必要がある。使用画面のスクリーンショットなどが例示されている。
第三に、届出と報告だ。6月から算定した事業所は、体制届を原則5月15日まで、処遇改善計画書を6月15日までに提出することとされた。計画書は職員へ周知したうえで出す。年度後には実績報告書を提出し、賃金改善が確かに職員へ支払われたことを示す。計画書・実績報告書と根拠資料は2年間の保存が義務である。
いま8月の時点で確認すべきことは明確だ。6月から算定を始めた事業所は、計画どおりの賃金改善を毎月実施し、根拠を残しているか。まだ算定していない事業所は、年度途中からの alg定も可能なため、管轄の指定権者に届出の期限を確認し、早急に動くべきである。算定しない選択は、国が用意した賃上げ原資を自ら手放すことを意味する。
ここで、現場が混乱しやすい点を整理しておく。訪問看護の賃上げ原資は、いまや二本立てになった。
医療保険の側には、訪問看護ベースアップ評価料がある。2024年度に新設され、単価は段階的に引き上げられている。以前の記事で詳しく扱ったとおり、8月は実績報告の時期でもある。
介護保険の側に、今回の処遇改善加算1.8%が加わった。適用されるのは介護保険分の報酬に対してのみで、医療保険の訪問看護には掛からない。
つまり、医療保険分はベースアップ評価料で、介護保険分は処遇改善加算で、それぞれ賃上げの原資を受け取る構造である。両者は別の制度であり、届出も報告も別に走る。事務の負担は確かに増えた。だが、医療と介護の両側から原資が入る体制が、ようやく揃ったともいえる。就業規則や賃金規程への反映を含め、二つの制度を一体の賃金設計として整理しておきたい。
さて、この転換を手放しで喜んでよいか。冷静に見ておくべき点がある。
訪問介護の処遇改善加算は最大28.7%に達する。訪問看護は1.8%だ。率の差は、既存の加算の積み上げや職種構成、賃金水準の違いによるもので、単純な比較はできない。それでも、月1万円という賃上げ幅が、病院看護師との格差やオンコール負担の重さに見合うかと問われれば、十分とは言いがたい。
加えて、加算率は介護保険分にしか掛からない。医療保険の利用者が中心のステーションでは、恩恵は限られる。重症者を多く診る事業所ほど医療保険の比率が高いという構造を踏まえると、配分の設計には課題が残る。
それでも、私はこの転換を前向きに評価したい。14年間動かなかった「対象外」の壁が崩れ、訪問看護が処遇改善の枠組みの内側に入った。入口に立たなければ、拡充の議論も始まらない。業界団体が要望を重ね、現場が声を上げ続けた結果として、制度は確かに動いた。1.8%は到達点ではなく、出発点である。
賃上げの原資は、制度として用意された。それを確実に受け取り、確実に職員へ届け、記録で証明する。地道な実務の先に、人が定着し、選ばれる職場が生まれる。以前の記事で述べたとおり、人材の確保はこの業界の最大の経営課題だ。14年待った制度を、使いこなせるかどうか。経営者の実務が、いま問われている。