利用者や家族からハラスメントを受けたとき、訪問を断ることはできるのか。
この問いが、2027年度の介護報酬改定に向けた論点として審議会に示されました。
厚生労働省は2026年8月末の社会保障審議会介護給付費分科会で、カスタマーハラスメントを理由としたサービス提供拒否のあり方を議題に挙げています。運営基準の見直しの是非を論点として提示し、利用者に必要なサービスを継続的に提供することの重要性も考慮しつつ、カスハラに直面した事業所が状況に応じて柔軟に対応できる方策を検討する考えを示しました。
当メディアではカスハラ対策の義務化を扱いましたが、今回は別の論点です。対策を講じることと、断ることは違います。
現行の運営基準は、事業所は正当な理由なくサービスの提供を拒んではならないと規定しています。提供拒否の禁止です。
問題は、この正当な理由が何を指すのかが明確でないことです。個別具体的な事情に基づいて、各事業所が判断しています。
判断が事業所に委ねられているということは、断った後で保険者から不適切だと言われる可能性が残るということでもあります。この不確実さが、現場で断りにくさを生んでいます。
厚労省は、この解釈が明確でないことが事業所や保険者が判断を迷う要因の一つになっていると整理しました。
審議会での議論は、一方向ではありませんでした。
職員の命と安全を守るため、サービス提供を拒否できる正当な理由を国として分かりやすく明確に示すべきだという意見が出ています。組織として毅然とした対応が取れるようにすべきだという趣旨です。
同じ8月28日の会合では、提供を拒否できる正当な理由を運営基準などで明確化すべきだという意見が相次いだとも報じられています。
一方で慎重論もあります。
障害福祉の分野で同様の議論が行われた際には、カスハラという言葉を使うのは時期尚早だという指摘や、長年にわたって尊厳を奪われてきた背景と個々の特性への配慮が必要だという意見が出ました。カスハラ対策が行き過ぎて、安易にサービスの撤退や契約解除ができる方向は避けるべきだという念押しもありました。
介護の側でも、認知症や精神疾患の特性に十分配慮した制度設計を求める声が上がっています。
慎重論の中心にあるのが、この問題です。
認知症の周辺症状として、暴言や暴力が現れることがあります。精神疾患の症状として、繰り返しの電話や執拗な要求が出ることもあります。
これらを提供拒否の正当な理由に含めるかどうか。ケアマネタイムスに寄稿した田中元氏は、厚労省としては認知症等の疾患に起因するケースを契約解除の正当な理由にならないと明記したいところかもしれない、と指摘しています。認知症基本法や障害者総合支援法との整合性が求められるためです。
訪問看護にとって、これは他人事ではありません。当メディアで扱った日本看護協会の実態調査では、精神科訪問看護の利用者数に大きなばらつきがあり、50人以上を抱える事業所が5.1%ありました。認知症の利用者を担当していない訪問看護ステーションは、ほぼないはずです。
疾患による症状と、ハラスメントを線引きできるか。できるとして、その判断を誰がするのか。訪問先で一人で対応している看護師が判断できる話ではありません。
ここで、訪問看護の立ち位置を確認します。
利用者などからのハラスメント対策について、訪問介護と訪問看護では、暴力行為などが認められる場合に、利用者や家族の同意を得たうえで複数名で訪問すれば加算を算定できます。
一方、ケアマネジャーが利用者宅に複数名で訪問する際の加算措置はありません。
この非対称が、今回の議論の背景にあります。ケアマネジャーは一人で訪問し、加算もなく、断ることもできない。当メディアで扱った概算要求では、在宅系サービス事業所の防犯・カスハラ対策への補助として、防犯カメラやGPS機器に加えて護身用スプレーやクマよけエアホーンが挙がり、居宅介護支援事業所にも同様の補助を検討するとされていました。
訪問看護は、制度上は守られている側です。複数名訪問の加算があり、24時間対応体制の評価もあります。
ただ、加算があることと、実際に複数名で行けることは別です。看護職員が1事業所あたり平均5.4人という規模で、2人を同じ訪問に充てれば、その時間は他の訪問ができません。当メディアで訪問件数の地域差を扱った際に書いたとおり、1日に回れる件数には上限があります。
加算は、複数名訪問にかかるコストの一部を埋めるものです。回れなくなった訪問の分まで補うものではありません。
仮に正当な理由が明確化されたとして、実務で問われるのは判断の主体です。
訪問先でハラスメントを受けるのは、そこにいる看護師です。しかし提供を拒否するかどうかは、事業所としての判断になります。
当メディアで限度額を超えた訪問を扱った際、訪問した看護師が単独で決めることではないと書きました。カスハラも同じ構造にあります。現場で何が起きているかを知っているのは訪問した看護師であり、判断するのは事業所です。
そのためには、記録が要ります。いつ、どこで、何を言われたか、何をされたか。誰に報告したか。事業所としてどう対応したか。
正当な理由が制度上明確になったとしても、その理由に該当することを示すのは事業所側です。記録がなければ示せません。
そして、記録が残っていなければ、何件起きているかも分かりません。当メディアで離職率を扱った際、訪問看護には全国統計がないと書きました。カスハラの件数についても同様です。測られていないものは、制度の議論に届きません。
もう一つの論点があります。
慎重論が指摘しているのは、断ることそのものへの反対ではなく、断った後にその人がどうなるかという問題です。
訪問看護を必要としている人が、ハラスメントを理由に複数の事業所から断られれば、在宅療養が成り立たなくなります。当メディアで身寄りのない高齢者の支援を扱った際にも書きましたが、家族がいない、あるいは家族との関係が断たれている利用者ほど、サービスに依存する度合いが高くなります。
断る権利を明確にするなら、断られた人を誰がどう支えるかも同時に設計する必要があります。地域包括支援センターや保険者の役割、医療との連携。事業所単位で解決できる問題ではありません。
カスハラ対策そのものは、すべての介護事業者への義務付けが2025年10月の介護保険部会で大筋了承されています。2026年6月に成立した改正労働施策総合推進法で、雇用管理上必要なカスハラ防止措置が事業者に義務付けられたことが背景です。
2027年度の介護報酬改定では、運営基準への位置付けと、提供拒否の正当な理由の扱いが具体的に検討されます。当メディアで扱ったとおり、10月から12月にかけて個別のサービスごとの議論が行われ、12月に基本的な考え方がとりまとめられます。
訪問看護の事業所として、いま確認できることがあります。
ハラスメントが起きたときに誰に報告するかが決まっているか。記録の様式があるか。複数名訪問への切り替えを誰が判断するか。利用者や家族への説明を誰が行うか。
これらは、制度が変わってから整えるものではありません。当メディアでBCPの研修を扱った際にも書きましたが、決まっていないことが見つかれば、それを見つけたこと自体が準備になります。
制度が明確化されるかどうかは分かりません。慎重論が強ければ、今回は見送られる可能性もあります。ただ、現場で起きていることは、制度の結論を待ってくれません。