「延命治療はどうされますか。ご家族で決めてください」。病状が急変した夜に初めてそう問われ、何も聞いていなかったご家族が凍りついてしまう場面を、私は現場で何度も見てきました。
本人はもう答えられない。家族は本人の気持ちが分からない。それでも決めなければならない。あの重さを知っているからこそ、お伝えしたいことがあります。
もしものときの話は、縁起でもない話ではありません。元気なうちに、大切な人と繰り返し話しておくこと。それがACP、愛称でいう人生会議です。今日はその進め方を、訪問看護の現場からお話しさせてください。
ACPはアドバンス・ケア・プランニングの略で、厚生労働省のガイドラインではこう定義されています。将来の変化に備え、将来の医療とケアについて、本人を主体にご家族や近しい人と医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援するプロセスである、と。
2018年に「人生会議」という愛称が付けられ、11月30日は人生会議の日とされています。
大切なのは「プロセス」という言葉です。ACPは書類を一枚作って終わるものではありません。話し合いを重ねること自体に意味があります。エンディングノートが個人の記録だとすれば、人生会議は本人の思いを周りの人と共有している状態を作る営みです。書いたものより、話した時間が残るのです。
人生の最終段階では、約7割の人が自分で意思決定できない状態になるといわれます。意識の低下、認知機能の変化、急な容体の悪化。理由はさまざまですが、いちばん大事な場面で本人の声が聞けなくなることは、決して珍しくありません。
そのとき何が起こるか。冒頭のような場面です。家族が「本人ならどう望んだか」を推し量って決めなければならない。その決断は、後々まで心に残ります。「あれでよかったのだろうか」と、何年も自分を責め続けるご家族を、私は知っています。
数字も示されています。ACPを実施した患者さんの約73%が、自分の希望に沿ったケアを受けられたと答えています。家族が代理で意思決定するときの心理的な負担も、およそ55%軽減されるという海外の報告があります。話しておくことは、本人の望みを守ると同時に、残される家族を守ることでもあるのです。
人生会議には誤解がつきまといます。三つほど解いておかせてください。
一つ目。「死の準備をさせられる」という誤解です。人生会議の中心は、延命治療の可否を決めることではありません。何を大切に生きてきたか、これからどう暮らしたいか、どこで誰と過ごしたいか。今日からの暮らしをよくするための対話が本体です。その延長線上に、医療の希望も自然と載ってくるのです。
二つ目。「一度決めたら変えられない」という誤解です。まったく逆で、心変わりは大歓迎です。体調や環境が変われば気持ちも変わります。だからこそ一度きりではなく、節目ごとに繰り返し話し直す。前と違うことを言っていい。それがACPの前提です。
三つ目。「まだ元気だから早すぎる」という誤解です。実際には、元気なうちにしか話せないことがたくさんあります。判断の力が保たれ、落ち着いて語り合える時期こそ、いちばんの適齢期なのです。
では、どう始めればよいのでしょうか。実は訪問看護の現場では、人生会議はかしこまった場ではなく、日常の会話の中で少しずつ進んでいきます。
お茶をいただきながら「私はぽっくり逝きたいわ」とこぼされる。テレビの闘病のニュースを見て「ああいうのは嫌だねえ」とつぶやかれる。何気ないその一言が、実は人生会議の入り口です。私たちはそうした言葉を聞き逃さず、「どうしてそう思われるのですか」と、そっと一歩だけ深く伺います。一回の訪問で完結させる必要はありません。何度も通うからこそ、少しずつ思いを重ねて聴いていけます。
聴いた内容は、記録に残し、ご本人の了解のもとで主治医やケアマネジャーと共有します。以前の記事でお伝えした多職種の連携が、ここでも生きてきます。介護が始まるとき、退院の前後、病状が変わったとき。そうした節目ごとに、話を重ね直していきます。
「うちは一人暮らしだから、話す相手がいない」。そう思われる方にこそ、お伝えしたいことがあります。
人生会議は、家族がいなくても進められます。訪問看護師、ケアマネジャー、主治医といった信頼できる支援者と一緒に、思いを言葉にして残していけるのです。以前の記事で、独居の方の意思決定が壁になるとお伝えしました。だからこそ一人暮らしの方ほど、元気なうちに支援者と話し、誰に何を託すかを決めておくことが、ご自身を守る備えになります。
ご家族から切り出す場合の、無理のない進め方をご紹介します。
まず、自分の大切にしていることを書き出してみる。次に、誰と話すか、もしものとき自分の代わりに思いを伝えてくれる人は誰かを考える。そのうえで、急な入院や療養の場所など場面を想定しながら、希望と不安を話してみる。話した内容は簡単にメモに残し、関わる人と共有する。そして体調や暮らしが変わったら、また話し直す。
きっかけの言葉に迷ったら、こんな切り出し方があります。「テレビで人生会議っていうのをやっていたけど、お母さんはどう思う?」。誰かの話として始めれば、重くなりすぎません。訪問看護師に「先生やケアマネさんも交えて話したい」と相談していただければ、場づくりからお手伝いします。
人生の最終段階の医療を、その場で初めて考えるのと、何度も話してきた延長で考えるのとでは、家族の心の重さがまったく違います。
「お父さんは家が好きだって、ずっと言っていたものね」。その一言を口にできるご家族は、涙を流しながらも、どこか穏やかです。迷いながらでも、本人の言葉を頼りに決められるからです。
人生会議は、死の話ではありません。その人がどう生きたいかの話です。そして話し合った時間そのものが、いつか必ず、残される人の支えになります。縁起でもないどころか、家族への何よりの贈りものだと、私は思っています。お茶の間の何気ない会話から、始めてみませんか。私たち訪問看護師も、そのそばにいます。