「家で最期を迎えたい」という願いと、17%という現実——訪問看護師として、在宅の看取りに寄り添う|自宅での最期を望む人は多く、実際に自宅で亡くなる人は約17%

Summary
訪問看護師として、幾度となく人の最期に立ち会ってきました。「家で最期を迎えたい」と望む人は多いのに、実際に自宅で亡くなる人は約17%——その大きなギャップの前で、私はいつも立ち止まります。なぜ家での看取りは難しいのか、訪問看護師はそこで何を支えるのか。そして「在宅死」と「孤立死」はまったく違うということ。訪問看護の最も本質的な役割を、現場の視点とデータで綴ります。
訪問看護師として働いていると、人の「最期」に、幾度となく立ち会います。
慣れることは、ありません。何度経験しても、その一つひとつが、まったく違う時間です。ただ、看取りに関わるたびに、私が思うことがあります。それは、「家で最期を迎える」ということが、多くの人が思っているよりも、ずっと難しく、そして、支える手があればかなえられるものなのだ、ということです。
今日は、訪問看護の最も本質的な役割の一つである、在宅での看取りについて、現場の視点からお話しさせてください。少し重い話かもしれません。でも、いつか誰にでも訪れることだからこそ、知っておいていただけたらと思うのです。
「家で最期を」という願いと、17%という現実
まず、一つの、大きなギャップの話から始めます。
厚生労働省の「人生の最終段階における医療に関する意識調査」では、人生の最期を迎えたい場所として、多くの人が「住み慣れた自宅」を挙げています。ある調査では、その割合はおよそ7割にのぼりました。誰もが、できることなら、慣れ親しんだ家で、家族に囲まれて、最期を迎えたいと願っている。それは、とても自然な気持ちだと思います。
けれど、現実は違います。人口動態調査によれば、実際に自宅で亡くなる方の割合は、およそ17%にとどまります。一方で、およそ66%の方は、病院で最期を迎えています。
「家で最期を」と願う人がこれほど多いのに、それがかなうのは、限られている。この数字の隔たりの前に、私はいつも、立ち止まってしまいます。多くの人が、望んだ場所とは違う場所で、人生を終えている。この現実は、静かですが、重いものだと思うのです。
かつて、死は暮らしの中にあった
少し、時間をさかのぼってみます。
日本では、もともと、家で亡くなることが当たり前でした。1951年の在宅死亡率は、82.5%。8割以上の人が、自宅で最期を迎えていたのです。
それが、大きく変わっていきます。国民皆保険が始まり、少ない負担で入院治療が受けられるようになったこと、核家族化が進んだこと。さまざまな理由が重なって、死の場所は、家から病院へと移っていきました。1976年には、病院で亡くなる人の割合が、自宅で亡くなる人の割合を上回ります。そして2006年には、病院での死亡が85%を超え、自宅で亡くなる人は12%まで減っていました。
かつて暮らしの中にあった死が、いつの間にか、白い壁の向こうの、少し遠いものになっていった。そう言えるのかもしれません。
近年、「施設から在宅へ」という政策の転換や、住み慣れた場所で最期を迎えたいという人々の思いを受けて、在宅で亡くなる方の割合は、少しずつ戻りつつあります。けれど、17%という数字が示すように、その道のりは、まだ半ばです。
なぜ、家で最期を迎えるのは難しいのでしょうか
では、なぜ、「家で最期を」という願いは、これほどかなえにくいのでしょうか。
理由は、はっきりしています。家での看取りは、一人では、決して成り立たないからです。
人生の最終段階では、痛みや苦しみをやわらげる医療的なケアが必要になります。容態が急に変わったとき、すぐに対応できる備えも要ります。そして何より、そばで支えるご家族の、覚悟と、大きな負担があります。訪問看護師、在宅医、ヘルパー、ケアマネジャー、そしてご家族。こうしたたくさんの手が、チームとして関わって、はじめて、家での看取りは可能になるのです。


