訪問看護師として働いていると、人の「最期」に、幾度となく立ち会います。
慣れることは、ありません。何度経験しても、その一つひとつが、まったく違う時間です。ただ、看取りに関わるたびに、私が思うことがあります。それは、「家で最期を迎える」ということが、多くの人が思っているよりも、ずっと難しく、そして、支える手があればかなえられるものなのだ、ということです。
今日は、訪問看護の最も本質的な役割の一つである、在宅での看取りについて、現場の視点からお話しさせてください。少し重い話かもしれません。でも、いつか誰にでも訪れることだからこそ、知っておいていただけたらと思うのです。
まず、一つの、大きなギャップの話から始めます。
厚生労働省の「人生の最終段階における医療に関する意識調査」では、人生の最期を迎えたい場所として、多くの人が「住み慣れた自宅」を挙げています。ある調査では、その割合はおよそ7割にのぼりました。誰もが、できることなら、慣れ親しんだ家で、家族に囲まれて、最期を迎えたいと願っている。それは、とても自然な気持ちだと思います。
けれど、現実は違います。人口動態調査によれば、実際に自宅で亡くなる方の割合は、およそ17%にとどまります。一方で、およそ66%の方は、病院で最期を迎えています。
「家で最期を」と願う人がこれほど多いのに、それがかなうのは、限られている。この数字の隔たりの前に、私はいつも、立ち止まってしまいます。多くの人が、望んだ場所とは違う場所で、人生を終えている。この現実は、静かですが、重いものだと思うのです。
少し、時間をさかのぼってみます。
日本では、もともと、家で亡くなることが当たり前でした。1951年の在宅死亡率は、82.5%。8割以上の人が、自宅で最期を迎えていたのです。
それが、大きく変わっていきます。国民皆保険が始まり、少ない負担で入院治療が受けられるようになったこと、核家族化が進んだこと。さまざまな理由が重なって、死の場所は、家から病院へと移っていきました。1976年には、病院で亡くなる人の割合が、自宅で亡くなる人の割合を上回ります。そして2006年には、病院での死亡が85%を超え、自宅で亡くなる人は12%まで減っていました。
かつて暮らしの中にあった死が、いつの間にか、白い壁の向こうの、少し遠いものになっていった。そう言えるのかもしれません。
近年、「施設から在宅へ」という政策の転換や、住み慣れた場所で最期を迎えたいという人々の思いを受けて、在宅で亡くなる方の割合は、少しずつ戻りつつあります。けれど、17%という数字が示すように、その道のりは、まだ半ばです。
では、なぜ、「家で最期を」という願いは、これほどかなえにくいのでしょうか。
理由は、はっきりしています。家での看取りは、一人では、決して成り立たないからです。
人生の最終段階では、痛みや苦しみをやわらげる医療的なケアが必要になります。容態が急に変わったとき、すぐに対応できる備えも要ります。そして何より、そばで支えるご家族の、覚悟と、大きな負担があります。訪問看護師、在宅医、ヘルパー、ケアマネジャー、そしてご家族。こうしたたくさんの手が、チームとして関わって、はじめて、家での看取りは可能になるのです。
この支える体制は、少しずつ整ってきています。24時間の往診に対応できる、機能強化型の在宅療養支援診療所の数は、2016年の2,914か所から、2023年には4,120か所へと増えました。在宅療養を支える病院も、同じ期間に472か所から782か所へと増えています。それでも、こうした体制がどれだけ整っているかには、地域によって差があります。住んでいる場所によって、家での看取りのしやすさが変わってしまう。それも、今の現実です。
その支えるチームの中で、訪問看護師が担う役割について、お話しさせてください。
私たちが行うのは、ターミナルケアと呼ばれる看護です。痛みや息苦しさ、さまざまなつらさをできるかぎりやわらげ、その人が、最期まで、その人らしく過ごせるように支える。それが、一つの大きな役割です。
そして、それと同じくらい大切なのが、ご家族を支えることです。大切な人の最期が近づいたとき、ご家族は、大きな不安の中にいます。「このやり方で、本当にいいのだろうか」「苦しませていないだろうか」。私たちは、そうした不安に耳を傾け、これから体に起きること、心に留めておくとよいことを、少しずつお伝えしていきます。そして、その方が息を引き取られた後に、お体をきれいに整える、最後のケアをさせていただくこともあります。
夜中に容態が変わったとき、電話をいただいて駆けつける。最期の時間を、ご家族と一緒に見守る。24時間、その電話を受けられるようにしていることが、ご家族にとって、大きな安心になります。あるお宅で、ご家族が「そばにいてくれる人がいると思うだけで、怖くなかった」とおっしゃったことがありました。その言葉を、私は今も、忘れられずにいます。
ここで、一つ、慎重に見ておきたいことがあります。
在宅で亡くなる方が増えていると聞くと、望ましいことのように思えるかもしれません。けれど、「在宅死」の増加は、必ずしも「よい看取り」が増えていることと、同じではないのです。
在宅で亡くなる方の中には、誰にも看取られないまま亡くなる、いわゆる孤立死も含まれています。内閣府のワーキンググループは、2024年に「孤立死」と位置づけられる方が、全国で約2.2万人にのぼると推計しました。警察庁の資料でも、自宅で亡くなった一人暮らしの方は、2024年に7万6千人あまりで、その76.4%が65歳以上の高齢者だったとされています。
同じ「家で亡くなる」でも、家族や支える手に囲まれて穏やかに最期を迎えることと、誰にも気づかれないまま独りで亡くなることとは、まったく違います。私たち訪問看護師が関わることの意味は、まさにここにあるのだと思います。ただの「在宅死」を、支えられた「看取り」に変えること。孤独な最期を、一つでも減らすこと。それが、私たちの仕事の、静かで、大切な意味なのだと思うのです。
こうした在宅での看取りを、制度も後押しし始めています。
介護保険における訪問看護のターミナルケア加算は、2024年度の改定で引き上げられました。2026年度の改定でも、看取り期の訪問看護をどう評価するかが論点となり、その評価は強化される方向にあります。訪問介護についても、通常は一定の間隔を空けることが求められる訪問を、看取りの時期には柔軟に行えるよう、ルールが見直されています。
国全体として、住み慣れた場所での最期を支えていこう、という方向に、少しずつ舵が切られている。それは、「家で最期を」という多くの人の願いに、社会が応えようとしている、ということでもあると思います。
家で最期を迎えることは、簡単なことではありません。医療の支えが要り、ご家族の負担があり、24時間の備えが必要です。だからこそ、多くの人の願いと、17%という現実のあいだには、大きな隔たりがあります。
けれど、支える手があれば、その隔たりは、少しずつ埋めていけるものだと、私は信じています。実際に、たくさんのご家族が、訪問看護をはじめとする支えを受けながら、大切な人を、家で見送ってこられました。「家で看取れてよかった」——そう言っていただけたとき、この仕事をしていてよかったと、心から思います。
「家で最期を迎えたい」。その願いを、ただの願いで終わらせないために。私たち訪問看護師は、これからも、その最期のときに、静かに寄り添っていきたいと思うのです。