訪問看護という仕組みは、日本だけのものなのか。
結論から言えば、違います。看護師が利用者の自宅を訪れてケアを提供する仕組みは、多くの国に存在します。ただし、その形は国によってかなり異なります。誰が費用を負担するのか、誰がケアの必要性を判断するのか、どんな組織が担っているのか。比べてみると、日本の当たり前がそうではないことが見えてきます。
今回はオランダ、スウェーデン、アメリカの三か国を取り上げ、日本の訪問看護の位置を確かめてみます。
まずオランダです。この国には、日本の訪問看護経営者が驚くであろう組織があります。ビュートゾルフです。
2006年、地域看護師のヨス・デ・ブロック氏が4人の仲間と始めた非営利の在宅ケア組織で、10年ほどで1万人規模へ成長しました。オランダの在宅ケアの約60%を占めるとされ、ダボス会議でも取り上げられています。
特筆すべきは、その組織構造です。1万人が働きながら、マネージャーもチームリーダーも一人もいません。バックオフィスに約40人、コーチが約15人いますが、いずれも現場を支える役であり、管理する立場ではないとされます。
運営の仕組みは、こう説明されています。最大12人のチームが40人から60人の利用者を担当する。各チームは独立しており、ケアの提供から看護・介護職の採用、教育、財務に至るまで、裁量と責任を与えられている。40から45チームに1人のコーチを配置する。ICTツールで情報共有と生産性の可視化を行う。
なぜこの形が生まれたのか。背景にあるのは、1990年代にオランダで進んだ在宅ケアの効率化と分業化です。社会保障費の逼迫を受けて効率が追求された結果、ケアは画一的で断片的なものになりました。利用者は毎回違う看護師に自分の症状を説明しなければならず、看護師のほうも目の前の作業に追われてやりがいを失い、離職が続いたといいます。
看護師がケアの全プロセスに責任を持てば、コストを抑えたまま質の高いケアができるのではないか。ビュートゾルフは、その問いから生まれた組織でした。
日本でも2016年に日本法人が設立され、このモデルに取り組む訪問看護ステーションが現れています。
次にスウェーデンです。高福祉で知られるこの国は、在宅介護を中心とする方針を貫いてきました。
高齢者の約90%が自宅で生活しているとされます。サービスを提供するのはコミューンと呼ばれる地方自治体で、ホームヘルパーや訪問看護師を派遣します。必要に応じて、一日に数回のケアから24時間体制の見守りまで対応する仕組みです。
家族への支援も手厚く整えられています。レスパイトケアは全自治体で提供され、24時間対応の緊急通報サービスや短期入所も用意されている。介護をする家族には手当が支給され、介護休暇の制度もあります。
財源は税です。そのため利用者負担は比較的低く抑えられ、全国一律の自己負担の上限が設定されています。さらに、自己負担を支払った後に手元に残すべき所得の最低額まで保証されており、利用者が生活に困らないよう配慮されている。
当メディアで独居高齢者について論じた際、日本では2050年に65歳以上の一人暮らしが約1,084万人に達するとお伝えしました。在宅を支える社会資源をどう設計するかという問いに、スウェーデンは税財源と自治体の直接提供という答えを出しています。
三か国目のアメリカは、対照的です。
この国には、全国民を対象とする公的な介護保険がありません。多くの人は自己資金でサービスを利用するか、民間の介護保険に加入する必要があります。実際には家族が在宅で介護を担うケースも非常に多いとされます。
自己責任の原則が強く反映された制度設計であり、結果として、経済力や家族の支援体制によって受けられる介護の質と量に大きな差が生じている。そう指摘されています。
一方で、看護師の働き方には日本と異なる特徴があります。業務が細分化されており、搬送や採血、吸入といった業務は専門職が担当するため、看護師は患者のケアに専念できる。専門性を追求しやすい環境が整っているとされます。
三か国と比べたとき、日本の訪問看護にはいくつかの際立った特徴が見えてきます。
一つ目が、財源と制度の設計です。日本には介護保険があり、40歳以上の全国民が加入します。この形は、実は世界的に見て珍しいものです。日本のように全国民を対象とする介護保険制度を持つ国は多くない、と指摘されています。
税で賄うスウェーデン型でもなく、自己責任のアメリカ型でもない。保険料と公費と自己負担を組み合わせる仕組みを、日本は選びました。当メディアで公費負担医療について整理したとおり、そこにさらに複数の公費制度が重なります。複雑ではありますが、費用の心配で医療にたどり着けない人を減らす設計になっています。
二つ目が、ケアの必要性を誰が判断するかという点です。
当メディアで医師会との関係を論じた際に述べたとおり、日本の訪問看護は主治医の指示を文書で受けなければ提供できません。法令にそう定められています。どれほど必要性が明らかでも、指示書がなければ訪問は始まらない。
一方、ビュートゾルフの説明を読むと、看護師がケアの全プロセスに責任を持つという思想が前面に出ています。チームには、ケアの内容についての裁量が与えられている。
どちらが優れているという話ではありません。医療安全の観点から医師の関与を求める考え方には合理性がありますし、看護師の専門性を信頼して裁量を広げる考え方にも根拠がある。ただ、日本の「指示書がすべての起点」という構造が世界標準ではないことは、知っておいてよいと思います。当メディアで特定行為研修について扱ったとおり、日本でも看護師の裁量を広げる議論は進んでいます。
三つ目が、事業所の姿です。
当メディアで企業ランキングを整理した際、事業所数で最大手級のステーションでも全国シェアは0.5%程度にとどまるとお伝えしました。全国に2万を超えるステーションがあり、その大半は看護師5人前後の小規模事業所です。
オランダでは、一つの組織が在宅ケアの6割を占めています。スウェーデンでは自治体が直接サービスを提供する。日本のように、無数の民間事業者が競い合いながら地域を支える形は、かなり独特だといえます。
この構造には長所と短所があります。地域ごとの実情に合わせた多様なサービスが生まれやすい一方で、当メディアで論じたとおり、経営の脆弱さや質のばらつきという課題を抱える。国が質の評価の検討に着手したのも、この構造と無関係ではないでしょう。
海外の仕組みをそのまま持ち込めば解決する、という話ではありません。医療制度は、その国の歴史と財政と価値観の上に成り立っています。
それでも、ビュートゾルフが管理者を置かずに成立していると知ることには意味があります。当メディアで管理者への業務集中が事業所の存続を左右すると論じましたが、管理者がいる前提そのものを疑う視点は、日本の議論にはあまりありません。チームに裁量を渡し、小さな単位で完結させる。人手が足りない時代に、検討する価値のある考え方だと思います。
訪問看護は、日本だけの仕組みではありません。ただし日本の形は、世界のどこにもない組み合わせでできています。全国民が加入する保険、医師の指示を起点とする制度、そして二万を超える小規模事業者。この形が、これからの需要に耐えられるのか。答えは、比較の中からしか見えてこないのかもしれません。