離職率83.3%。看護師が6人いれば、1年で5人が辞める水準である。
ITmediaビジネスオンラインが2026年7月に報じた訪問看護ステーションは、そこから数年で離職率を7.7%まで下げ、約1,200万円の赤字を利益率10%超の黒字に変えた。主導したのはITの専門家ではない。デジタルは苦手だったと語る現役看護師の代表が、YouTubeで独学し、自分で業務アプリを作ったという。
業界の外でこの話が読まれているのは、逆転劇として面白いからだ。しかし訪問看護の経営者が読むべき点は別にある。市販の電子カルテや請求ソフトを導入しても離職が止まらない事業所が、この業界には多い。なぜこの事例では止まったのか。ツールではなく構造の側から考えたい。
まず前提を正しておく。離職率83.3%は極端に見えるが、小規模ステーションでは起こりうる数字だ。
看護師が常勤換算2.5人以上いなければ指定を維持できない。5人前後の事業所で年に4人が辞めれば、離職率は80%を超える。当メディアで論じたとおり、訪問看護の離職率は病院より高く、常勤換算5人未満の事業所は5人以上より離職率が高い。人数が少ないほど、一人の退職が率を跳ね上げ、残った人の負担が増え、次の退職を呼ぶ。
赤字1,200万円も同じ構造から生まれる。令和7年度の介護事業経営概況調査で訪問看護の38.2%が赤字だった。看護師が辞めれば訪問枠が減り、売上が落ちる。採用には人材紹介手数料で一人100万円規模がかかる。当メディアで赤字の三つの型として整理した「流出型」の赤字は、まさに離職から始まる。
つまりこの事例の出発点は、業界の平均的な失敗の形である。だからこそ、そこからの立て直しに一般性がある。
ここで一つ、慎重になるべき点がある。
記事の見出しはDXで離職が止まったと読める。しかし電子カルテを入れた事業所が皆、離職率を下げているわけではない。むしろ現場からは、記録の入力が増えた、システムが業務に合わない、二重入力になったという声が絶えない。当メディアでケアプランデータ連携システムの障害を取り上げた際にも書いたが、国が推進するDXは現場の負担を減らす保証がない。
では、この事例で効いたのは何か。報じられている情報から読み取れる要素は三つある。
一つ目。作ったのが代表自身であり、その代表が現役の看護師であること。二つ目。既製品を買わず、自分たちの業務に合わせて作ったこと。三つ目。独学で始めたため、初期投資がほとんどかかっていないこと。
この三つに共通するのは、現場の困りごとと解決策の距離が極端に短いという点だ。市販ソフトは全国の事業所の最大公約数に合わせて設計されている。自分たちのステーションの、自分たちの訪問の流れに合っているとは限らない。合わない部分を現場が我慢で埋めるとき、その我慢が離職の一因になる。
当メディアで離職を減らす方法を論じた際、訪問看護師が辞める理由の共通項を「孤独」と整理した。オンコールの孤独、判断の孤独、受持ちの孤独である。
DXがこの孤独に届くとすれば、それは記録を早く書けることによってではない。訪問先で迷ったときに事業所の誰かとすぐつながれる、担当以外の利用者の情報を誰でも見られる、オンコール当番の偏りが可視化されて是正される。そうした情報の流れを変えたときに、初めて孤独が薄まる。
離職率83.3%の事業所で起きていたのは、おそらく業務の非効率そのものではない。非効率が生む残業、情報が共有されないことによる判断の孤立、そして誰も改善しないという諦めである。自作アプリという手段が効いたとすれば、それは代表が現場の困りごとを一つずつ拾い、自分の手で形にし続けたという事実が、スタッフに「この事業所は変わる」と伝わったからだろう。
ツールが人を残したのではない。困りごとが放置されない組織であることが、人を残した。そう読むほうが、他の事業所にとって有益だ。
事例の背景には、技術側の変化もある。
かつて業務アプリを作るには専門的なプログラミングが要った。現在はノーコードやローコードと呼ばれる仕組みが普及し、画面上で部品を組み合わせて業務アプリを作れる。学習手段もYouTubeを含めて無料で豊富にある。デジタルが苦手だった看護師が独学で作れたのは、その環境があってのことだ。
訪問看護の業務には、市販ソフトが手薄な領域が多い。訪問スケジュールと移動の調整、利用者ごとの申し送りの蓄積、オンコールの記録と引き継ぎ、物品や車両の管理。当メディアで駐車許可や車両管理を扱った際にも触れたが、こうした周辺業務は各事業所の事情に依存し、既製品では吸収しきれない。自作の向く領域は、ここにある。
逆に、自作に向かない領域もはっきりしている。レセプト請求である。医療保険と介護保険の算定ルールは複雑で改定のたびに変わる。当メディアで2026年度改定を追ってきたとおり、同一建物の逓減や加算の要件は細かい。ここを自作するのは現実的でなく、既存の請求ソフトに任せるべきだ。
自作か市販かという二択ではない。請求は市販、周辺業務は自作、という組み合わせが、この事例から導ける現実的な形である。
自作アプリの事例を手放しで称えるつもりはない。訪問看護の経営として、押さえるべきリスクがある。
第一に、属人化である。代表が作ったアプリは、代表にしか直せない。代表が体調を崩したり、事業承継の局面が来たりしたとき、誰も触れないシステムが残る。当メディアで管理者の役割を論じた際、管理者個人の熱意に依存する運営の危うさを指摘したが、自作システムも同じ構造を持つ。設計の記録を残し、もう一人が触れる状態にしておく必要がある。
第二に、個人情報の管理だ。訪問看護の記録は利用者の病名や生活の詳細を含む。自作アプリがどこにデータを置き、誰がアクセスできるかを整理していなければ、利便性の代償として漏えいのリスクを抱える。当メディアで訪問看護記録の法的な重さを扱ったとおり、記録は証拠でもある。運営指導で「そのデータはどこにあるのか」と問われて答えられなければならない。
第三に、目的の逆転である。作ること自体が目的になり、現場が求めていない機能が増えていく。この事例が成功したのは、代表が現役の看護師であり、現場の困りごとから離れなかったからだ。外部に発注した瞬間に、この距離は開く。
介護分野にはICT導入支援事業という補助制度があり、訪問看護ステーションも記録や情報共有のシステム導入に活用できる。当メディアで補助金の要件化がシステム障害を招いた経緯を書いたとおり、制度は導入を後押しする。
ただ、この事例が示しているのは、補助金で何を買うかより前に、自分たちの業務のどこが痛いのかを書き出すことの重要性である。離職率83.3%の事業所で、代表が最初にしたのは、おそらくアプリを作ることではない。何が現場を消耗させているのかを見ることだった。
訪問看護のDXは、記録のデジタル化と同義ではない。人が辞める理由を業務の側から特定し、その一つひとつを潰していく作業の総称である。手段が自作アプリであっても、市販ソフトであっても、紙の運用の見直しであっても構わない。
離職率7.7%という結果は、ツールの性能ではなく、困りごとが放置されなくなった組織の姿を示している。1,200万円の赤字から抜けた道筋も、そこにある。
元記事は下記サイト内にあります。 https://www.itmedia.co.jp/business/