福岡地方裁判所小倉支部が平成26年10月10日に出した判決に、訪問看護の経営者が知っておくべき事実がある。
96歳の利用者が、特別養護老人ホームの短期入所生活介護を利用している最中に転倒し、傷害を負って、その後亡くなった事案である。争点は、施設が事故を予見できたかどうかだった。
裁判所が予見可能性を認めた根拠として挙げたもののなかに、訪問看護記録と訪問看護計画書があった。記録には歩行状態への不安を指摘する記載があり、計画書には転倒する可能性が高いと書かれていた。裁判所は、こうした事情から利用者は歩行中いつ転倒してもおかしくない状態だったと判断し、施設側の責任を認めている。
訪問看護師が書いた一行が、別の事業者の法的責任を左右した。記録の重さを、これほど端的に示す事例はないと思う。今回は訪問看護をめぐる法的責任について、判例と実務の両面から整理したい。
まず、責任の構造を確認する。看護職が医療事故の当事者になった場合、負う責任は三つに分かれる。
一つ目が民事責任である。過失によって利用者の生命や身体に損害を与えた場合、その損害を金銭に換算して賠償する責任だ。利用者が亡くなれば、その後の生涯で得られたはずの収入が逸失利益として請求される。事案によっては、億単位の請求になることもあると指摘されている。
二つ目が刑事責任だ。業務上過失致死傷などが該当する。
三つ目が行政責任である。保健師助産師看護師法に基づく免許の取消しや業務停止といった処分がこれにあたる。
事業所として重いのは民事責任だが、当事者となった看護師個人にとっては三つすべてが現実の負担になる。
では、どういう場合に過失があったとされるのか。判断の枠組みは、二つの義務で構成される。予見義務と結果回避義務だ。
予見義務とは、その結果が起こりうると予測すべきだったという義務である。結果回避義務とは、予測できた以上、それを避けるための措置を取るべきだったという義務だ。
冒頭の判例が分かりやすい。転倒する可能性が高いと記録に書かれていた。だから予見できたはずだ、というのが予見義務の話である。そのうえで、歩行介助や近接した位置からの見守りといった措置を取るべきだったのに怠った、というのが結果回避義務の話になる。
看護職の過失が認められた医療過誤判例を分析した研究では、予見すべき結果として七つのカテゴリが抽出されている。注射針の刺入部位や深さによる神経損傷、身体拘束を受けた患者や失見当識のある患者の転倒・転落による頭部損傷などが挙げられている。
訪問看護に引き直せば、当メディアで扱ってきた領域と重なる。転倒、誤嚥、褥瘡、薬剤の管理、医療機器の取り扱い。いずれも予見と回避が問われる場面である。
ここで、記録の法的な性質を押さえておきたい。
当メディアでは繰り返し、記録が算定の根拠になることをお伝えしてきた。2026年度改定では訪問の開始と終了の時刻の記録が算定の前提として明確化され、記録の不備は返戻の対象になった。
だが記録には、もう一つの顔がある。訴訟における証拠だ。
看護記録は看護実践の一連の過程を記録したものであり、療養上の世話と診療の補助という広範な業務の内容が記されるため、医療過誤事件における重要な証拠になると指摘されている。
さらに、証拠保全という手続きがある。医療過誤訴訟において証拠となる記録が改ざんや隠匿されるおそれがある場合、訴訟の前に裁判所が記録を探索し確認することを認める手続きだ。実施されると、当日に裁判所から連絡があり、裁判官と患者側の弁護士、カメラマンが訪れて、関係すると思われる記録の一切を写真に収めていく。強制的な手続きであり、拒否できない。
そして訪問看護の契約書には、記録の閲覧や謄写を利用者が請求できる旨が定められているのが一般的である。全国訪問看護事業協会が示す契約書の私案にも、その条項がある。
記録は、書いた瞬間から外部に開かれている。そう考えておいたほうがいい。
ここで一つの疑問が生じる。リスクを記録に書けば予見可能性を認めたことになる。ならば書かないほうが安全なのではないか、と。
その発想は、二重に誤っている。
第一に、書かなければ観察義務を果たしていないことになる。転倒しそうな状態を見ていながら記録に残していないのであれば、専門職として当然行うべき観察と評価を怠ったと評価されうる。当メディアで観察の重要性を繰り返し扱ってきたとおり、それは訪問看護の中核業務である。
第二に、記録の改ざんは事態を決定的に悪化させる。証拠保全という手続きが存在すること自体が、改ざんへの警戒から生まれている。後から書き換えた痕跡が見つかれば、その事業所の記録全体の信頼性が失われる。
正しい答えは一つしかない。リスクを認識したら記録に書き、書いたうえで対応し、その対応と結果も記録する。予見したことを書くだけでは足りず、回避のために何をしたかまで書く。それが過失を否定する材料になる。
冒頭の判例で施設の責任が認められたのは、リスクが記録されていたからではない。記録されていたのに、必要な措置を取らなかったからである。
訪問看護に固有の、難しい問いがある。
私たちは24時間そばにいるわけではない。週に1回、あるいは数回、限られた時間だけ利用者の家にいる。当メディアで独居高齢者や認知症について論じたとおり、訪問していない時間のほうが圧倒的に長い。
その間に起きたことに、どこまで責任があるのか。
法的な整理としては、訪問看護事業者が負うのは、契約に基づいて提供すべきサービスを適切に提供する義務である。契約書の標準的な条項でも、事業者が契約に定める義務に違反して利用者に損害を生じさせたときに賠償責任を負い、事業者の責めに帰することができない事由による場合は責任を負わないとされている。
つまり問われるのは、訪問した時間内の判断と行為、そして専門職として当然すべきだった助言や連携である。訪問時に明らかな異変を見落とした。危険な状態を把握しながら家族にも医師にも伝えなかった。必要な環境調整を提案しなかった。そうした不作為は問われうる。
逆にいえば、観察し、評価し、必要な情報を関係者に伝え、記録に残していれば、訪問していない時間に起きた事故のすべてを事業所が背負うわけではない。
だから、伝えることと残すことが要になる。家族に危険を説明したなら、その事実を記録する。ケアマネジャーや医師に報告したなら、いつ何を伝えたかを書く。当メディアで連携について論じてきたが、報告は関係づくりのためだけでなく、責任の所在を明確にするためのものでもある。
実務として整えるべきものを挙げる。
第一に、賠償責任保険への加入である。訪問看護事業者賠償責任保険は、訪問看護業務の遂行に起因して発生した他人の身体の障害や財物の損壊について負う法律上の賠償責任を補償するものだ。入浴介助中に利用者にけがをさせた場合や、消毒が不十分なカテーテルにより感染症を引き起こした場合などが例として挙げられている。当メディアで開業の準備を扱った際にも触れたが、指定申請の段階で加入を確認される場合もある。
第二に、事故発生時の対応手順の整備だ。契約書の標準的な条項では、事故が発生した場合に速やかに市町村、家族、居宅介護支援事業者等へ連絡し必要な措置を講じること、原因を分析し再発防止策を講じることが定められている。誰が何をどの順で行うかを、あらかじめ決めておきたい。
第三に、記録の整備と保存である。契約終了後の保存期間も契約書に定められる。当メディアで情報セキュリティについて論じたとおり、記録の管理そのものが法的な責任を伴う。
そして第四に、報告しやすい組織文化だ。当メディアでヒヤリハットを扱った際に述べたとおり、個人を責める文化は報告を隠す文化を生む。事故を隠されることこそ、法的にも経営的にも最大のリスクである。
訪問看護記録の一行が、法廷で読まれることがある。その事実は、記録を書くときの姿勢を変えるはずだ。
とはいえ、訴訟を恐れて防衛的な記録を書けというつもりはない。予見すべきことを予見し、回避すべき措置を取り、それを正確に残す。結局のところ、法的な備えと良質なケアは同じ方向を向いている。危険に気づき、手を打ち、関係者に伝える。日々やっているはずのことを、確実に記録に落とし込む。それ以上の対策は、たぶん存在しない。