2,437件と701件——この2つの数字が、2026年時点の訪問看護業界の姿を最も端的に表しています。
全国訪問看護事業協会が実施した最新調査によれば、訪問看護ステーションの新規開設数は前年度比123%の2,437件と、業界初の2,000件超えを記録しました。同時に、廃止701件、休止291件はいずれも過去最多を更新。廃止と休止を合わせた992件は前年比125%の増加となっています。
新規開設が過去最高。廃業・休止も過去最多。この2つが同時に起きているという事実こそが、業界を理解する鍵となります。
HokanPress編集部では、この2つの数字が示す業界の実態を、丁寧に読み解いてまいります。「なぜ参入と撤退が同時に増えているのか」「その背景には何があるのか」「業界関係者は何をどう受け止めるべきか」——これらの問いに、公的データと業界情報を基に、ひとつずつ整理していきます。
なお、本記事に記載する数字は、全国訪問看護事業協会の令和6年度調査結果、厚生労働省の介護給付費実態統計、業界メディアの公開情報に基づくものです。最新の情報は各機関の公式発表でご確認いただければ幸いです。
まず、新規開設2,437件という数字を深く見ていきます。
この数字は、業界初の年間2,000件超えを記録したという歴史的な意味を持ちます。前年度の1,968件から469件の増加。前年比123%という伸び率も、近年で最も高い水準です。
この2,437件が一日あたり何件の新規開設に相当するか計算すると、365日で割ってもおよそ6.7件。稼働日で考えれば毎営業日8〜10件のペースで、新しい訪問看護ステーションが誕生している計算になります。
これだけの新規開設を支えているのは、明確な需要の伸びです。厚生労働省の介護給付費実態統計をもとに2020年4月と2025年4月を比較すると、訪問看護の受給者数は42.6%増。同じ期間の訪問介護9.2%増、通所介護4.5%増と比べても、居宅サービスの中で群を抜く伸びとなっています。
さらに視点を広げれば、稼働ステーション数は2012年以降、毎年7〜10%の増加率を継続。今回の1万8,754カ所という総数は、15年前と比較して約3倍の規模です。「訪問看護は成長する」という業界の実感を、数字が裏付けています。
新規開設2,437件を支えている構造的な追い風を、整理してみます。
第一の追い風は、85歳以上の超高齢者の急増です。全国訪問看護事業協会の分析によれば、同じ要介護者でも85歳以上は医療処置が必要な割合が大きい層とされます。年齢階級別1日あたり訪問診療患者数の推計では、2020年〜2040年で75〜85歳未満が横ばいなのに対し、85歳以上は4.8万人から7.8万人へと大きく増加する見込みです。
第二の追い風は、地域医療構想に基づく病床削減です。全国訪問看護事業協会参与のコメントによれば、2015年〜2023年で病床数は5.8万減の119.3万床、急性期病床は7.1万減の52.5万床となっています。「入院から在宅へ」という政策シフトが、訪問看護需要の底上げを続けています。
第三の追い風は、コロナ禍を経た「在宅志向」の高まりです。業界団体は「入院すると家族と面会できなくなる、看取りだけは自宅で、というケースが増えた」と指摘。感染管理の専門性を持つ訪問看護師への信頼度も高まったとされています。
第四の追い風は、参入時のコスト構造です。訪問看護は固定資産を持たない事業モデルで、参入時のイニシャルコストは施設事業と比較して低い部類に入ります。看護師5人程度で月商300万円という業界平均も、他の医療・介護事業と比べれば参入しやすい規模感です。
第五の追い風は、事業モデルの多様化です。以前は看護師の起業や医療法人の展開が中心でしたが、近年は他業界からの参入、投資ファンドの参入、既存法人によるスケール拡大、フランチャイズ展開など、参入主体が多様化しています。
これら5つの追い風が同時に吹くことで、年間2,437件という新規開設数が実現している構造です。
一方で、廃止701件・休止291件という数字も、しっかりと見つめる必要があります。
廃止と休止の合計は992件、前年比125%の増加。1年間で約1,000件のステーションが業界から消えている計算になります。1日あたり2.7件、稼働日あたり3.9件——毎営業日、全国のどこかで4件近くのステーションが姿を消しているというペースです。
この数字が意味するのは、「参入したものの続けられない」事業所の急増です。訪問看護は参入しやすい反面、継続の難しさが構造的に大きい業界であることを、廃業・休止992件という数字が明確に示しています。
業界メディアの報道では、新規開業の1年以内廃業率は約4割との指摘もあります。3年以内では過半数、という調査もあります(業界の一般的な傾向)。「訪問看護で起業した」という事実と、「訪問看護経営を続けられている」という事実は、まったく別のものであると理解する必要があります。
廃業・休止992件を生んでいる構造要因を、整理してみます。
第一の要因は、看護師確保の困難さです。訪問看護は看護師なしには成立しない事業モデルであり、看護師確保に失敗した瞬間に運営が崩れる脆弱性を抱えています。求人倍率が10年ぶりの高水準にあるとされる看護師市場で、中小・新規のステーションが看護師を安定的に確保することは、年々難しくなっています。
第二の要因は、人件費率78%という業界構造です。売上100のうち78が人件費に消える構造の中で、残り22で家賃・光熱費・車両費・システム費・管理経費・利益をすべて捻出する必要があります。物価高騰と賃上げ圧力が同時に働く中、この構造での経営維持は容易ではありません。
第三の要因は、収支差率6.2%(令和5年度介護事業経営概況調査)という薄い利益率です。月商300万円のステーションで利益額は月18万6千円、年間223万円程度。経営者1人の年収にも満たない額が事業体の利益として残る計算になります。ここから経営者への役員報酬、設備投資、内部留保を捻出する必要があります。
第四の要因は、制度対応と事務負担の増大です。診療報酬改定、介護報酬改定、疑義解釈、加算要件の変更——次々と更新される制度への対応が、中小ステーションの管理者を圧迫します。制度対応だけで管理者の時間が消え、経営に集中できないという声も業界内で聞かれます。
第五の要因は、経営者の高齢化と後継者不在です。開業ブーム第一世代の経営者が引退期を迎え、後継者が確保できずに廃業・休止を選ぶケースも増えています。M&Aによる事業承継も活発化していますが、条件が合わずに廃業を選ぶ経営者も少なくありません。
これら5つの要因が重なることで、廃業・休止992件という数字が生まれている構造です。
新規開設2,437件と廃業・休止992件を並べて見えてくるのは、業界の「量的拡大」と「質的淘汰」が同時進行している構造です。
需要が拡大しているから参入が活発化する。参入が活発化するから競争が激化する。競争が激化するから経営が難しくなる。経営が難しくなるから撤退が増える——このサイクルが、業界全体で回転している状態です。
ただし、撤退が需要拡大を上回るわけではありません。純増(新規開設-廃止・休止)は1,445件で、事業所総数は増加を続けています。増えながら淘汰される、拡大しながら二極化する——これが業界の現在地です。
業界の勝敗を分けるのは、「参入したかどうか」ではなく「継続できるかどうか」です。参入は比較的容易で、追い風も明確です。しかし、継続には人材確保、経営数字の管理、制度対応、後継者育成——多くの経営課題を乗り越える力が求められます。この非対称性が、業界の二極化を加速させている本質的な構造です。
こうした業界の姿の中で、経営の質を分ける視点も明確になってきています。
一つ目の視点は、経営数字を継続的に把握しているかどうかです。月商、訪問件数、訪問単価、看護師1人あたり月商、人件費率、収支差率——これらを毎月同じフォーマットで記録し、時系列で追う。感覚ではなく数字で経営を見る姿勢が、廃業・休止のリスクを大きく下げます。
二つ目の視点は、看護師確保への継続投資ができているかどうかです。給与水準の維持、教育研修への投資、キャリアパスの整備、多様な働き方の支援——これらへの投資は短期的にはコストに見えますが、看護師確保という業界最大の課題を解決する唯一の道でもあります。
三つ目の視点は、制度動向を経営に組み込む姿勢があるかどうかです。診療報酬・介護報酬の改定、機能強化型の要件、新設加算——これらの動向を追い、自ステーションの経営に反映させる。制度に振り回されるのではなく、制度を経営の道具として使いこなす姿勢が、これからの経営の質を決めます。
これらの視点を持つ経営者は、廃止701件・休止291件の外側にとどまることができる可能性が高まります。逆に言えば、これらを持たない経営が続けば、業界の淘汰の流れに巻き込まれるリスクが構造的に高くなります。
数字が示す業界の姿は、訪問看護師個人にとっても重要な意味を持ちます。
自分が働くステーションが、新規開設の側なのか、廃業・休止の側になり得るのか、あるいは安定した継続組の側なのか——この立ち位置の把握が、キャリア判断の出発点となります。
在籍ステーションの経営数字、看護師の定着率、管理者の姿勢、制度動向への対応力、機能強化型の取得状況——これらを把握することは、決して「経営者だけの仕事」ではありません。看護師個人にとっても、自分のキャリアを守るための重要な情報です。
もちろん、業界の中には安定した経営基盤を持つ、看護師にとって働きがいのあるステーションも数多く存在します。参入と撤退が同時に活発化する構造の中で、質の高いステーションを見極める視点を持つことが、これからの看護師のキャリア設計には求められています。
2,437件と701件という数字が示すのは、訪問看護業界が単純な「成長期」の段階を抜け、「成長と淘汰が同時進行する構造転換期」に入っているという事実です。
15年で3倍という総体としての拡大は、業界の社会的重要性が高まっていることを示しています。同時に、廃業・休止992件という現実は、業界内での個別事業所の生存競争が激化していることも示しています。
この二重の構造を理解することが、業界関係者すべてにとっての出発点となります。「業界が伸びているから安泰」でも「業界が厳しいから危険」でもなく、「業界は伸びているが個別事業所の生存は容易ではない」という現実を、率直に見つめる姿勢が求められています。
全国訪問看護事業協会の最新調査が示した新規開設2,437件と廃止701件は、それぞれが単独でも業界の歴史に残る数字ですが、同時記録されたという事実こそが最も重要な意味を持ちます。
参入を後押しする5つの構造的追い風(85歳以上人口の急増、病床削減、コロナ後の在宅志向、参入コストの低さ、事業モデルの多様化)と、廃業・休止を生む5つの構造要因(看護師確保困難、人件費率78%、薄い利益率、制度対応負担、経営者の高齢化)が、業界内で同時に作用している構造。これが、量的拡大と質的淘汰が同時進行する業界の実態です。
経営の質を分ける3つの視点(経営数字の継続把握、看護師確保への投資、制度動向の経営組み込み)を持つ事業所は、この二極化の流れの中で継続組の側にとどまることができる可能性が高まります。
訪問看護師個人にとっても、自分の在籍ステーションがこの構造のどこに位置するかを把握することが、キャリア判断の重要な視点となります。
数字は業界の姿を静かに、しかし明確に語ります。「1.8万カ所、15年で3倍」の総体の拡大の裏で、毎日約4件のステーションが姿を消している——この現実を直視することから、業界関係者としての次の一歩が始まります。
なお、本記事に記載した数字は、全国訪問看護事業協会の令和6年度調査結果、厚生労働省の介護給付費実態統計、業界メディア報道の公開情報に基づくものです。詳細や最新の情報は、全国訪問看護事業協会、厚生労働省、業界専門メディア等の公式発表でご確認いただければ幸いです。