2026年1月16日、社会保障審議会・介護給付費分科会が、2026年度の臨時介護報酬改定について上野賢一郎厚生労働大臣に答申を行った。介護職員等処遇改善加算の対象事業所が拡大され、これまで対象外だった訪問看護にもついに適用されることが決まった。
訪問看護経営者として、この発表を歓迎する気持ちは確かにある。看護師の処遇改善が公定価格として認められたのは、業界の歴史において初めてのことだ。
しかし答申の内容を詳しく読み込むと、複雑な感情が湧き上がってくる。訪問介護で最大28.7%、訪問リハビリで1.5%、居宅介護支援で2.1%、訪問看護で1.8%。この加算率の差は、業界の構造を映し出す鏡でもある。
本記事では、2026年処遇改善加算の業種別格差から見える業界の構造問題と、訪問看護経営者として持つべき視点を整理する。
まず、2026年度臨時改定で決定された処遇改善加算の業種別加算率を整理する。
GemMedの報道によれば、2026年6月施行の介護職員等処遇改善加算の業種別加算率は以下の通りとなった。
訪問介護: 最大28.7%(加算I「ロ」) 通所介護: 区分により異なるが上位区分は20%前後 特別養護老人ホーム: 区分により異なる 訪問リハビリテーション: 1.5% 居宅介護支援(ケアマネ): 2.1% 訪問看護: 1.8%
訪問介護と訪問看護では、加算率に約16倍の差がある計算となる。これは単純な比較として印象的な数字だ。
厚生労働省の説明によれば、今回の改定の趣旨は以下の3点に集約される。
訪問看護経営者として、改定全体の方向性に異論はない。看護師の処遇改善は確実に進めるべき課題である。
ただし、加算率の格差については、立ち止まって考える必要がある。
訪問介護28.7%と訪問看護1.8%。この差は何を意味するのか。
訪問介護は、2009年度から介護職員処遇改善加算の対象事業所として、長年にわたり処遇改善が積み上げられてきた。
過去の主な処遇改善加算の経緯:
15年以上にわたる継続的な処遇改善の結果として、訪問介護では加算による賃金水準が一定程度確立してきた。今回の28.7%は、この長年の積み上げの延長線上にある数字だ。
一方、訪問看護は今回が初めての対象事業所化となる。当然、過去の積み上げはゼロからのスタートとなり、1.8%という比較的控えめな数字が設定された構造だ。
訪問介護職員と訪問看護師では、基本給与水準そのものが大きく異なる。
厚生労働省「介護事業経営実態調査」によれば、訪問介護のヘルパーの平均年収は約330万円程度(常勤、フルタイム換算)。
一方、訪問看護師の平均年収は約480万円〜520万円程度。職位や経験年数により大きく異なるが、平均値で見れば訪問介護ヘルパーの約1.4〜1.6倍となる。
「月あたり1万円」の賃上げを目指す制度設計では、給与水準が低い職種ほど加算率を高く設定する必要がある構造だ。同じ「月1万円アップ」を実現するために必要な加算率は、給与水準に逆比例して変化する。
これが訪問介護28.7%と訪問看護1.8%の格差の数学的背景となっている。
訪問介護の人材不足は、業界全体で最も深刻なレベルに達している。
東京商工リサーチの発表によれば、2025年の介護事業者倒産176件のうち、訪問介護は91件で3年連続の最多更新。倒産の主因として「人手不足」が指摘されている。
訪問介護ヘルパーの平均年齢は60歳を超え、新規就業者の確保が極めて困難な状況が続いている。この危機的な人材不足を背景に、訪問介護への処遇改善加算が突出した水準で設定された。
訪問看護も人材確保に苦戦しているが、訪問介護ほどの危機的水準には達していない、という相対的な判断が背景にあると推察される。
訪問看護は今回が初めての処遇改善加算対象化となるため、制度設計上、保守的な数字でスタートする傾向がある。
将来的に加算率の引き上げが検討される可能性は十分にあるが、まずは1.8%という小さな数字で制度の運用実態を確認するという、厚生労働省の慎重なアプローチが見える。
実際、答申文書には「2027年度の介護報酬改定(3年に1度の通常改定)において、処遇改善の在り方を正面から議論する」と明記されており、2027年以降の本格的な引き上げが視野に入っている。
私自身、訪問看護ステーション経営者として10年余り運営してきた立場から、この格差をどう受け止めるべきかを整理する。
訪問看護の1.8%が低いと感じるのは、今回が「初年度」だからである。訪問介護のように15年以上の積み上げを経た数字と単純比較することは、適切ではない。
業界として大切なのは、今回の1.8%を「初めの一歩」と捉え、2027年・2029年・2031年と続く制度改定の中で、継続的に引き上げを実現していく姿勢である。
訪問看護への国の支援は、介護職員等処遇改善加算1.8%だけではない。
2026年改定で訪問看護に新設・拡充される制度を整理すると:
これらを総合すれば、利用者60名規模のステーションでは、年間500万円以上の追加収入が見込める計算となる。1.8%という単独の数字に惑わされず、複合的な追加収入を確実に取りに行く経営判断が重要だ。
加算率の絶対値以上に、訪問看護が処遇改善加算の対象事業所として認められたこと自体に意義がある。
これまで「医療保険分は対象外」「看護師の処遇改善は別枠」という扱いを受けてきた訪問看護が、ようやく介護保険制度上の処遇改善の枠組みに正式に組み込まれた。これは将来的な加算率引き上げの基盤となる。
長期的に見れば、2027年改定、2030年改定、2033年改定と、継続的な引き上げが期待できる。今回はその第一歩だ。
訪問看護経営者として注意すべきは、訪問介護ヘルパーへの処遇改善が大幅に進むことで、看護師との給与差が縮まる可能性である。
訪問介護で月1万9,000円の賃上げが実現すれば、ヘルパーの年収は約20万円以上アップする。訪問看護師の処遇改善が同程度進まなければ、相対的な給与差は縮小する。
これは看護師のモチベーション低下、訪問看護からの離職、看護師確保の難化につながる可能性がある。経営者として、この構造を意識した待遇設計が必要となる。
ここから、訪問看護経営者として今すぐ取るべき具体的な行動を整理する。
まず、自ステーションの看護師の給与水準を、地域相場と比較して点検する。
確認項目:
地域の同業ステーションと比較して、相対的に低い項目があれば、今回の処遇改善加算の機会に改善を検討する。
介護職員等処遇改善加算の体制届は、2026年5月15日が原則的な提出期限となる(自治体により6月15日まで柔軟対応の場合あり)。
残り期間が限られている中で、以下を確実に進める必要がある。
並行して、ベースアップ評価料の届出も必要となる。受付期間は5月7日から6月1日まで。実質的にはゴールデンウィーク明けからの1か月弱が勝負となる。
加算で得られる原資をどう配分するか、経営者として方針を明確化する。
配分パターン:
私が運営するステーションでは、職位別配分と経験年数別配分の組み合わせを採用している。この方式が最もスタッフから納得を得られた経験からだ。
2026年は処遇改善の「初年度」である。中長期的な視点での処遇改善計画を策定することが、人材定着の鍵となる。
5年計画の例:
短期的な処遇改善加算だけでなく、中長期的な視点でスタッフの未来を描けることが、優秀な人材の定着につながる。
2026年改定は、訪問看護にとって大きな転換点となる。継続的な業界動向のフォローが、経営判断の基盤となる。
フォローすべき情報源:
経営者として、これらに月数時間を投じる習慣を持つことが、長期的な経営の差を生む。
経営者として最も難しいのは、スタッフへの説明である。訪問介護で28.7%、訪問看護で1.8%という数字を、看護師にどう伝えるか。
スタッフへの説明では、以下の事実を冷静に伝える。
数字の格差を隠すのではなく、その背景と意義を含めて誠実に伝える姿勢が、スタッフの理解を得る基盤となる。
「訪問介護のほうが評価されている」と感じるスタッフが出る可能性は否定できない。経営者として、訪問看護師の専門性と社会的価値を改めて伝える機会と捉えるべきだ。
訪問看護師の独自の価値:
加算率の数字だけで価値を測ることはできない。訪問看護師の専門性は、社会の中で確実に評価されつつある。
訪問看護経営者として、業界の構造問題に対する提言も整理しておきたい。
2026年の1.8%は出発点である。2027年、2030年と続く制度改定の中で、訪問看護師の処遇改善を継続的に進めることが、業界として最重要課題となる。
そのためには:
これらを通じて、訪問看護師の社会的地位向上を図る必要がある。
訪問介護28.7%、訪問看護1.8%という数字を見て、訪問介護と訪問看護の対立構造を作るべきではない。
両者は地域包括ケアシステムの両輪として、連携・協働すべき関係にある。お互いの処遇改善を支え合いながら、業界全体の社会的地位向上を図る視点が重要だ。
訪問看護師の特殊な業務内容、責任の重さ、専門性の高さを、社会に向けて継続的に発信することが必要となる。
これは経営者だけの仕事ではない。看護師個人、業界団体、専門メディア、すべてが連携して、訪問看護の価値を社会に伝える取り組みが求められる。
2026年度の臨時介護報酬改定で、訪問看護に介護職員等処遇改善加算が初めて適用される。加算率1.8%は、訪問介護の最大28.7%と比較すれば控えめな数字だが、訪問看護にとっては歴史的な第一歩である。
数字の格差に一喜一憂するのではなく、長期的な視点で処遇改善を進めていく経営者の姿勢が問われている。複数の新加算を組み合わせた経営戦略、スタッフへの誠実な説明、業界としての継続的な要望活動。これらを着実に進めることが、訪問看護師の処遇改善と業界の発展につながる。
2027年・2030年の制度改定で、訪問看護師の処遇改善がさらに進むことを願っている。今回の1.8%を、ぜひ未来への投資として活用していただきたい。
HokanPressでは、訪問看護経営者・管理者が必要とする実践的な情報を、引き続き発信していく。