在宅医療・介護を支える両輪がある。訪問看護と訪問介護だ。医療的なケアを届ける訪問看護と、食事や排せつ、入浴といった生活を支える訪問介護。多くの在宅療養者は、この二つのサービスを同時に受けながら、住み慣れた自宅での暮らしを続けている。
ところが今、この両輪は、まったく正反対の方向へ動いている。片方は、過去最高のペースで数を増やしている。もう片方は、過去最多のペースで市場から消えている。
本稿では、訪問看護と訪問介護という二つのサービスの、対照的な現在地を、検証可能なデータで比較する。そのうえで、この非対称が、訪問看護の経営にとって何を意味するのかを考えたい。
まず、事業所数の動きを見る。
訪問看護は、増えている。一般社団法人全国訪問看護事業協会の「令和7年度 訪問看護ステーション数調査結果」(2025年6月公表)によれば、2025年4月1日時点の全国の訪問看護ステーション稼働数は18,743件。前年から1,414件増え、前年比108%となった。稼働数は15年連続で増加している。2012年以降のこの13年間で数は約3倍に膨らみ、年平均成長率は8.8%に達する。前年度中に新規開設されたステーションは、過去最高の2,487件だった。
一方、訪問介護は、消えている。東京商工リサーチの調査によれば、2025年の介護事業者(老人福祉・介護事業)の倒産は176件と、過去最多を2年連続で更新した。中でも訪問介護は91件と突出し、3年連続で最多を更新している。倒産だけではない。倒産以外で事業を止める「休廃業・解散」も2025年は653件と過去最多で、そのうち訪問介護は465件、全体のおよそ7割を占めた。
数字が示すコントラストは鮮明だ。同じ「在宅を支えるサービス」でありながら、訪問看護は新規参入が活発化し、訪問介護は淘汰が加速している。これが、両輪の現在地である。
ただし、ここで一つ、注意深く見ておくべき点がある。訪問看護は本当に安泰なのか、ということだ。
結論から言えば、訪問看護の「増加」の裏側では、静かに別の現象が進んでいる。同じ全国訪問看護事業協会の令和7年度調査によれば、2024年度中に廃止となった訪問看護ステーションは886か所、休止は355か所にのぼる。この廃止・休止の数は、新規開設と同様に、過去最高を更新している。前年度(廃止701か所、休止291か所)と比べても、明確に増えている。
つまり、訪問看護で起きているのは、単純な右肩上がりではない。「新規開設も過去最高、廃止・休止も過去最高」という、二極化だ。数多くのステーションが生まれる一方で、それに迫る数のステーションが、静かに退場している。廃業率で見ると、訪問看護はおよそ5%台で推移している。
訪問介護が「消える」段階にあるとすれば、訪問看護は「増えながら、その足元で消え始めている」段階にある。表面の総数の増加が、この足元の退場を覆い隠している。両者の違いは、淘汰の有無ではなく、淘汰が総数の増加に隠れて見えるかどうかにある。
では、なぜ両者の明暗はここまで分かれるのか。制度と報酬の構造に、大きな理由がある。
訪問介護の苦境の中心にあるのは、報酬だ。訪問介護は2024年度の介護報酬改定で基本報酬がマイナスとなり、その影響が経営を直撃した。加えて、深刻なホームヘルパー不足、ガソリン代をはじめとする運営コストの上昇が、資金繰りを圧迫している。訪問介護は介護保険のみで動くサービスであり、公定価格の引き下げが、そのまま収益の低下に直結する。
対して訪問看護は、収益構造が相対的に恵まれている。訪問看護は介護保険だけでなく医療保険でも算定できるため、対象となる利用者の幅が広く、訪問単価も相対的に高い。厚生労働省の令和7年度介護事業経営概況調査では、訪問看護ステーションの令和6年度の収支差率は10.3%で、全介護サービスの平均4.7%の倍以上、介護サービスの中で最も高い水準にあった。この報酬環境が、新規参入の追い風になっている。
同じ在宅サービスでありながら、一方は報酬の逆風で退場を迫られ、一方は報酬の追い風で参入が続く。この構造の差が、事業所数の明暗として現れている。裏を返せば、明暗を分けているのは経営努力の差だけではなく、制度設計の差でもある、ということだ。
ここまでの数字だけを見れば、訪問看護の経営者は、訪問介護の苦境を対岸の火事と捉えたくなるかもしれない。だが、それは誤りだ。理由は二つある。
第一に、訪問介護の撤退は、訪問看護が立つ「在宅の土台」そのものを崩す。訪問看護が届けるのは医療的なケアであり、食事・排せつ・入浴といった日常生活の支援は、訪問介護が担っている。在宅療養は、この二つがそろって初めて成り立つ。訪問介護が撤退した地域では、生活支援の担い手が消える。東京商工リサーチによれば、訪問介護の空白地帯は、すでに100の自治体を超えているという。生活を支える手がなくなれば、いくら訪問看護があっても、その利用者は在宅での暮らしを続けられなくなる。訪問看護は「医療」は出せても、「生活」までは出せない。両輪の一方が折れれば、もう一方も、その地域では走れなくなる。
第二に、訪問介護が先に経験している「淘汰」の構造は、訪問看護にとって未来の予兆でもある。訪問介護の倒産・撤退の主因は、報酬のマイナス改定と、小規模事業者の脆弱性だった。訪問看護もまた、その多くが小規模なステーションで成り立っている。廃止・休止の理由として調査で挙げられているのは、「人材確保」と「利用者が少ない」の二点だ。看護師を確保できず、利用者を集められない小規模ステーションが、静かに退場している。これは、訪問介護が数年前から歩んできた道と、構造が重なる。
いま訪問看護に吹いている報酬の追い風は、恒久的なものではない。制度と報酬の設計が変われば、訪問看護の総数の曲線が、訪問介護のように反転する可能性は、否定できない。
訪問看護は増えている。この事実は、確かに在宅医療の成長を示している。だが、経営の観点からこの数字を読むとき、注意すべきは、総数の増加が語らないものだ。
新規開設が過去最高でも、廃止・休止もまた過去最高である。参入が活発なほど、競争は激しくなり、利用者を集められない小規模ステーションの退場も増える。訪問看護ステーションの大規模化が、報酬改定の議論で繰り返しテーマになるのも、この小規模事業者の脆弱性を、行政もまた課題として認識しているからにほかならない。
隣で先に倒れ始めた訪問介護は、報酬の逆風と小規模の脆弱性が重なったとき、事業所がどのように市場から退出していくのかを、数字で示している。訪問看護がその後を追わないために、いま問われているのは、総数の増加に安心することではない。自らのステーションが、追い風が止んでも走り続けられる収益と体制を持っているか。それを直視することだ。
在宅を支える両輪の一方は、すでに軋みを上げている。その音を、もう一方の輪が、聞き逃してはならない。