2026年5月、改正医薬品医療機器法が施行されます。これにより、せき止めなど特定の市販薬について、18歳未満への販売制限が始まることになりました。一般的に「OD規制」と呼ばれるこの動きは、若い世代を中心に深刻化している市販薬のオーバードーズ(過剰摂取)問題への対応です。
私はオペ看として大学病院に長く勤めていましたが、救急外来から手術室にオーバードーズの患者さんが運ばれてくる場面に何度も立ち会ってきました。意識朦朧としながら運ばれてくる若い女性たちの姿は、本当に胸が締め付けられる光景でした。
今回の規制は、看護師として、また同じ社会に生きる大人として、決して無関係でいられない問題です。何が起きていて、どんな規制が始まるのか、そして私たちに何ができるのか、お話させていただきたいと思います。
まずは、なぜこの規制が必要なほど事態が深刻になっているのか、背景を整理します。
厚生労働省の最新調査によれば、市販薬のオーバードーズ経験者は若年女性で特に多く、高校生70人に1人が経験しているとされています。これは決して低い数字ではありません。1クラス40人の高校生がいたとして、そのクラスのどこかにオーバードーズ経験者がいる、という規模です。
オーバードーズに使われる市販薬としては、せき止め薬、解熱鎮痛薬、風邪薬、抗ヒスタミン薬などが多く、いずれもドラッグストアやコンビニで手軽に購入できるものばかりです。
若年女性に多い理由について、専門家からは以下のような指摘がされています。
メンタルヘルスの不調を抱える若年女性が増加していること。SNSでオーバードーズの方法や経験談が共有され、ハードルが低く感じられてしまっていること。違法薬物より入手が容易で、罪悪感が薄いこと。学校・家庭で居場所を見つけられず、薬物に逃避する傾向。
特にSNSの影響は大きく、TikTokやXで「OD」「闇バイト」「自傷」などのキーワードを検索すると、10代の女性たちの投稿が大量に出てきます。お互いを慰め合いながら、結果として行動を強化してしまう構造があります。
厚生労働省は「命に関わることもある危険な行為だ」と繰り返し警鐘を鳴らしています。実際、オーバードーズによる死亡事例も報告されており、肝機能障害、腎機能障害、呼吸抑制、循環器系の合併症など、深刻な健康被害が発生しています。
5月施行の改正法により、何が変わるのか具体的に見ていきます。
主な規制対象は、依存性・乱用リスクの高い成分を含む市販薬です。具体的には以下のような成分が含まれる薬が対象となります。
ジヒドロコデインリン酸塩(せき止め)、メチルエフェドリン塩酸塩(風邪薬)、ブロモバレリル尿素(鎮痛剤・睡眠導入剤)、抗ヒスタミン剤(一部)。
これらは適切に使用すれば有効な医薬品ですが、過剰摂取では強い精神作用や身体的な障害を引き起こします。
18歳未満の購入者に対して、以下の制限が設けられます。
身分証による年齢確認の義務化。1人あたりの購入数量の制限。複数包装の購入制限。記録の保存義務。
これにより、未成年者が市販薬を大量に購入することが困難になります。
ドラッグストア側でも対応が始まっています。
販売員への研修強化。POSシステムでの年齢確認連動。陳列方法の変更(レジ前カウンター内への移動等)。販売記録の電子化。
特に大手チェーンでは、5月施行に向けて店舗運営マニュアルの見直しが進んでいます。
私が現場で出会ってきた若年女性のオーバードーズケースを、特定されない範囲で共有させてください。
夜間、救急外来に運ばれてきた17歳の女子高校生。意識レベルが低下し、嘔吐を繰り返していました。所持品から大量のせき止め薬の空箱が見つかりました。
学校でのいじめがきっかけだったと、後に本人から聞きました。家庭でも両親との関係がうまくいかず、SNSで知り合った同世代の女の子から「これを飲むと楽になる」と勧められたそうです。
幸い命に別条はありませんでしたが、肝機能の数値が大きく悪化し、入院期間は2週間に及びました。
繰り返しオーバードーズで搬送されてくる19歳の女性。3か月の間に4回、救急搬送されていました。
精神科への受診を勧めても拒否され、家族との関係も破綻していました。専門学校を中退し、アルバイトも長続きせず、市販薬への依存だけが日常を構成している状態でした。
16歳の女子中学生(中学卒業直後)が、母親に連れられて救急外来に来ました。母親が部屋を片付けていて、ベッドの下から大量の市販薬の空袋を発見したそうです。
本人は最初は反抗的でしたが、母親が涙を流しながら話しかけ続ける中で、少しずつ自分の気持ちを話してくれました。「学校で居場所がなかった」「家でも誰も自分を見てくれない」「薬を飲むと心の痛みが少しだけ消える」と。
これらのケースに共通していたのは、医療よりも前に必要だったのは「気持ちを聞いてもらえる場所」だったということです。
看護師として、こうした問題にどう向き合えばよいのでしょうか。
医療現場で若年女性と接する際に、以下のサインに気をつけていただきたいと思います。
繰り返し訴える原因不明の体調不良。家族との会話を避ける様子。SNSへの依存。極端な体重変化。リストカット痕などの自傷の痕跡。
これらは複数組み合わさることで、深刻な状況のサインとなります。
オーバードーズや自傷をしている若い人と接する時、最も大切なのは「否定せずに聞く」ことだと感じています。
「そんなことをしてはダメ」「親に申し訳ないと思わないの」——こうした言葉は、相手をさらに孤立させます。
「どうしてそうしたいと思ったの」「今はどんな気持ち」と、評価せずに聞く姿勢が、相手の心を開く第一歩となります。
看護師が心理ケアの専門家になる必要はありません。大切なのは、適切な専門機関につなぐことです。
つなぎ先として知っておきたいリソースを挙げます。
精神科医療機関、児童相談所、若者支援センター、よりそいホットライン、いのちの電話、NPO法人(ライトハウス、自殺対策相談センター等)。
地域によっては、若年女性に特化した相談窓口もあります。事前に地域のリソースを把握しておくと、いざという時に的確に紹介できます。
オーバードーズで搬送された若年女性の家族も、深い悲しみと罪悪感を抱えていることが多いです。「どうしてこうなったのか」「自分の育て方が悪かったのか」と自分を責めるご家族には、看護師としての配慮が必要となります。
家族療法、保護者向け相談窓口、自助グループなどの情報も提供できると、家族全体の回復を支援できます。
訪問看護の現場でも、若年女性のメンタルヘルス問題は無関係ではありません。
精神科訪問看護では、20代の若年女性が利用者となるケースが増えています。摂食障害、うつ病、双極性障害、解離性障害などを抱えながら、家族と暮らす、あるいは一人暮らしをする若い女性たちです。
訪問看護師として、医療的なケアに加えて、生活全般を支える視点が求められます。
若年女性のケースでは、特にご家族との関係構築が重要です。本人だけでなく、ご家族の心情に寄り添いながら、一緒に回復を支えていく姿勢が必要です。
看護師という立場を離れて、大人として、社会として考えたいこともあります。
若年女性のオーバードーズの根底には、「居場所のなさ」があると感じています。学校でも家庭でもSNSでもない、安心して自分らしくいられる場所が、社会に圧倒的に不足しています。
地域の若者支援センター、子ども食堂、サードプレイスとしてのカフェなど、居場所を提供する取り組みを応援することは、大人にできる重要な貢献です。
SNSでオーバードーズの情報が拡散される問題には、情報リテラシー教育の充実が不可欠です。学校教育、家庭での会話、メディアの責任ある報道——複数の側面からのアプローチが求められます。
「精神科に行くなんて」「弱いから心が病む」——こうした偏見が、必要な医療を受けることを妨げています。メンタルヘルスは身体の健康と同じく、誰もが向き合うものという認識を、社会全体で広げていきたいです。
5月施行の市販薬規制は、若年女性のオーバードーズ問題への重要な一歩です。しかし、これだけで問題が解決するわけではありません。規制の網をくぐる別の手段が出てくる可能性もありますし、根本的な「若い世代の生きづらさ」は規制では解決できません。
看護師として、現場で出会う若い女性たち一人ひとりに、温かい眼差しを向けていきたいと改めて思います。「あなたを見ている」「あなたの話を聞いている」というメッセージが、回復の小さな第一歩になることを、私は信じています。
そして看護師でない読者の方々も、身近にいる若い世代に、否定せずに耳を傾ける大人でいてくださることを、心から願っています。
私たち一人ひとりの関わり方が、社会の優しさを作っていくのだと、思っています。