訪問看護ステーションは、二つの立場から高齢者虐待に関わっている。
一つは、虐待を発見する側としての立場だ。家の中に入り、利用者の体を見て、家族と話す。虐待の兆候に気づける数少ない専門職である。
もう一つが、自らが加害者にならないための体制を整える側としての立場だ。2024年度から、すべての介護サービス事業所に虐待防止の取り組みが義務づけられ、未実施は減算の対象になった。
どちらも避けて通れない。今回は制度としての義務と、現場での判断の両面から整理したい。
まず制度から確認する。
高齢者虐待防止法は、正式には高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律という。この法律により、介護従事者には虐待を発見した際の通報義務と、早期発見の努力義務が課されている。
これを強化する形で、令和3年度の介護報酬改定において、すべての介護サービス事業所に虐待防止の推進が義務づけられた。3年間の経過措置を経て、令和6年度から完全に義務化されている。
事業所が実施すべき取り組みは、四つある。虐待防止のための対策を検討する委員会を定期的に開催し、結果を従業者に周知徹底すること。虐待防止のための指針を整備すること。従業者に対して虐待防止の研修を定期的に実施すること。そして、これらの措置を適切に実施するための担当者を置くこと。
委員会の開催頻度は、訪問系や通所系、多機能系では年1回以上とされている。施設系や居住系は年2回以上だ。
義務の実効性を担保しているのが、高齢者虐待防止措置未実施減算である。2024年度改定で新設され、減算率は基本報酬の1%となっている。
注意すべき点がある。四つの取り組みのうち一つでも未実施の項目があれば、減算の対象になる。そして虐待の事案が発生していない場合であっても、取り組みが行われていなければ適用される。
虐待をしていないから関係ない、という理解は成り立たない。体制を整えること自体が要件なのである。
当メディアで運営指導や記録の重要性を繰り返し扱ってきたが、この領域も同じ構造にある。実施したことを、議事録や研修記録として残せていなければ、実施していないものとして扱われる。
看護師数名の事業所で委員会を開くというのは、現実的なのかという疑問があるだろう。
厚生労働省の令和6年度介護報酬改定に関するQ&Aでは、対応の幅が示されている。法人内の複数事業所での合同開催や、他の委員会との合同開催が例示されている。テレビ電話装置等の活用も認められている。
つまり、感染症対策やBCPに関する委員会と合わせて開催してもよい。当メディアでBCPについて論じた際にも述べたが、小規模事業所ほど、こうした義務をまとめて処理する設計が要る。
指針についても、立派な文書である必要はないと指摘されている。虐待にあたる行為の考え方と禁止の姿勢、相談や通報の窓口と連絡先、緊急時の連絡順。現場が迷わない順番で、必要な事項が書かれていることが重要だとされる。
委員会は、話した内容より、決めた後に運用が変わったかが問われる。議事録に担当者と期限が残っているかどうかで、説明のしやすさが変わってくる。
ここからが、より難しい問題になる。訪問先で虐待の疑いに気づいたとき、どうするかである。
高齢者虐待防止法では、高齢者の生命または身体に重大な危険が生じている場合、速やかに市町村へ通報しなければならないとされている。義務である。それ以外の場合も、通報の努力義務が課されている。
法律上の整理は明確だ。ところが現場では、通報をためらう理由がいくつも生じる。
確信が持てない。あざはあるが、転んだのかもしれない。食事が足りていないように見えるが、本人が食べたがらないだけかもしれない。
関係が壊れることへの恐れもある。通報したと知られれば、家族から訪問を拒否されるかもしれない。そうなれば利用者を支える手立てが失われる。
そして、家族への同情もある。介護に疲れきった姿を見てきたからこそ、その人を加害者として扱うことにためらいが生まれる。
こうしたためらいに対して、押さえておくべき考え方がある。
家庭で起きる高齢者虐待の多くは、悪意から生じるものではない。長期にわたる介護の負担、睡眠不足、経済的な困窮、相談できる相手がいないこと。追い詰められた末に、手が出る、暴言が出る、必要な世話ができなくなる。
だから通報は、家族を罰するための行為ではない。市町村につなぐことで、家族が支援を受けられる可能性が開ける。高齢者虐待防止法の正式名称に、高齢者の養護者に対する支援等という文言が含まれているのは、そのためだ。この法律は、虐待を受けた高齢者を守ると同時に、介護する側を支援することも目的としている。
当メディアでレスパイトについて論じた際に述べたとおり、介護する人が倒れれば在宅の生活は続かない。虐待の背景にあるのは、多くの場合、支援が届いていない状態である。
通報を、告発ではなく支援の入口として捉える。この理解が組織内で共有されていれば、現場の判断は変わってくるはずだ。
では具体的にどう動くか。手順を整理する。
第一に、事実を記録することである。何を見て、何を聞いたのか。あざの位置と大きさ、本人の発言、家族の様子、居室の状況。当メディアで訪問看護記録の法的な重さを論じたとおり、記録は後の判断を支える根拠になる。推測と事実を分けて書くことが重要だ。
第二に、一人で判断しないことだ。担当した看護師が単独で通報するかどうかを決める構造にしてはならない。管理者に報告し、事業所として判断する。虐待防止の担当者を置くことが義務づけられているのは、この機能を担わせるためでもある。
第三に、迷う段階で相談することである。確信がなければ通報できないわけではない。地域包括支援センターや市町村の担当課には、虐待が疑われる段階でも相談できる。通報の判断そのものを行政に委ねるという選択肢がある。
第四に、ケアマネジャーとの共有だ。当メディアで論じたとおり、ケアマネジャーは在宅サービス全体を調整する立場にある。複数の事業者が入っていれば、それぞれが見ている場面が違う。情報を持ち寄ることで、全体像が見えてくることがある。
最後に、義務化のもう一つの側面に触れておきたい。
虐待防止の取り組みが求められているのは、事業者による虐待も現実に起きているからである。厚生労働省の調査では、介護施設や事業所の職員による虐待の相談・通報件数が過去最多を更新した年もあった。
訪問看護は、密室で提供されるサービスだ。当メディアでカスタマーハラスメントについて論じた際、密室であることが被害を見えにくくすると述べた。同じ構造は、逆方向にも働く。看護師の言動を、外から見ている人はいない。
だからこそ、研修と事例検討の場が要る。何が虐待にあたるのかを共有し、自分たちのケアを振り返る機会を持つ。強い口調で急かすこと、本人の意思を確認せずに処置を進めること、身体を押さえること。それが不適切なケアにあたらないかを、日常的に問い直す文化がなければ、義務は形式で終わる。
年に一度の委員会と研修は、減算を避けるためだけの手続きではない。当メディアでヒヤリハットについて論じたとおり、報告しやすい組織文化があってこそ、問題は早期に見つかる。
家の中で起きていることに気づける専門職は、そう多くない。訪問看護は、その数少ない一つである。気づいた人が一人で抱え込まず、組織として、そして地域として動ける体制をつくること。義務化された四つの取り組みは、本来そのための仕組みであるはずだ。